ボクサー 小笠原一揆の自叙伝~奇跡~episode4

ボクサー 小笠原一揆の自叙伝~奇跡~episode4

この記事(自叙伝)は90年代にボクシングで活躍した元日本J・ウェルター(現:スーパーフェザー)級1位の小笠原一揆(おがさわらいっき)選手より依頼を頂き、便せん50枚以上の手紙をもとに編集した記事です。
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DVDと手紙

手紙

昔お世話になった人達に、何十年も昔の自分の試合のDVD をお礼に送るとか、手紙を書くとか、そんなささやかな事しかには出来ません。

でもまだ、全然DVDは間に合っていません。

がしかし、もしも、欲しい方がいらしたら、僕にご連絡を下さい。

なんの邪心もありません。お金だっていりません。

だって著作権一体何所にあるのでしょうか?分かりません?

ダビングしてくれた人とか、テレビ局とか、ビデオと写真を撮ってくださっ た長野県松本市の本当にお世話になった稲田節(まもる)さん(恩人)に、江戸川区の山田光二様(写真を頂きました)もいらしゃいます。

(もしも、DVDが発売されたら僕の対戦 相手にも当然のお金が入るでしょうし、それでも当然に僕が言い出した企画の本人でもあ り、一番出ているのも僕ですから自ずとお金の一番行くところは分かります。お金のことを考えずにきてくださっていた稲田節さん。こ恩は一生忘れません。

僕は今、失業手当でなんとか暮らしていけています。但し、ダビングの時間は物凄くかかります、送料も全て自分で負担しています。

浦島太郎

今回の大病の後でボーンと世の中にはじき出されたみたいな感じです。

まるで、浦島太郎になったような感じです。

もう何人もの死んでしまった方もおられますし、住所の分からなくなった方もいます。

付き合いのなくなった人もます。

でも、しかし、人間の本質は、変わらないと思います。

例え、社会的にちょっと地位や名誉 や肩書きがあがったぐらいで人間の中身は変わらないのです。

僕は僕です。僕は人間の本質をじっと見ていきたい。

ひがみや、ねたみなんかではない。(いや、やっぱりほんの少しだけはそれが含まれて居るかもしれません。)僕のことを捨てた、倒れるまでをただみたいにこき使った、最後に15年間近くもいた会社には、感謝こそすれ、何の恨みも無い。

コロ(妻) が言うには、(なくなった、盗られた大事にしていた道具は、会社に、厄と一緒に置いてきたと思えばよい)のだそうだ。

あの、僕の大事にしていた大切な道具を盗んだ人には、 いいことは、きっとあるまい。

ロードワーク

ロードワーク

毎日毎日ロードワークで、汗を流すうちに、随分体調がよくなってきたよ。

ボイラーの勉強も上手くいっているし、毎日、少しづつだけれども、 確実に具合は良くなっているのが自分でも分かるよ。

皆さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。

人生にはブランクがあります。実は、僕もその(ボクシングの)ブランクの間にお芝居をやりました。

役者になろうかと思ったこともあるのです。

それは、ブランク後のカムバックしたボクシング生活にも大いに役にたちましたよ。

この手紙を打っている間にも届いた手紙が有りました。

それは、かつて、シェイクスピアシアターの養成所 (東京都中野区高円寺)の同期でもあり、1歳だけ年上の偶然にも、僕のいたジムのすぐ近くにある東中野運送(代表)の吉田耕一さんの訃報でした。

僕のタニマチもやってくれていて、その上、ジムにも通ってくれましたね。

横綱の大乃国さんも、僕の西澤誠さんとの試合に連れてきてくれましたね。

お世話になりました。ありがとうございました。感謝、 感謝。合唱です。

一揆(いっき)

僕も年を取るわけです。52歳になりました。

ご冥宿をお祈りいたします。

皆さんにありがとうと、伝えたいのです。

ありがとうございました。涙が止まりません。

とてもじゃないけれど、一揆(いっき)なんて名前は僕にはもったいないのです。

僕にもちょうど、僕と真中さんとの同じような開の、後輩がおります。

鈴木啓太というやつです。(サッカーにも、同性同名の人がいるそうですが。)可愛い後輩です。

今でも奇跡的に古巣の三迫ジムでトレーナーをやっています。

お陰で今回の騒動になったのかも知れません。

何故なら彼が居なければジムとはつながってはいないでしょうから。

ずっと前に読んだ、有島武夫の(カインの末裔)のようなさみしい僕の人生の終わりになりそうですが、これでおしまいにいたします。

ありがとうございました。(何もかも、失 ってしまう悲しいラストです。さみしいですね。喜びが多かった分だけ、寂しさもおおくなるなんて、なんて悲しいのでしょうか。

(本当は、僕は、本家(小笠原家壱岐守)唐津小笠原藩主の、末裔だと思っています。明るい映画一族だったそうです)珍演技で、一世を風靡した役者も出たそうです。

僕は、その唐津小笠原藩の末裔だと思うのです。

実は、 僕もある映画にチラッとですが出たことがあるのです。 キセキ 奇跡

なんとこんなブスで、もてない僕にも、東京で2 年間もお付き合いした女さんがいました・・・続く。

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