ボクサー 小笠原一揆の自叙伝~奇跡~episode5

ボクサー 小笠原一揆の自叙伝~奇跡~episode5

この記事(自叙伝)は90年代にボクシングで活躍した元日本J・ウェルター(現:スーパーフェザー)級1位の小笠原一揆(おがさわらいっき)選手より依頼を頂き、便せん50枚以上の手紙をもとに編集した記事です。
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感謝2

その彼女は結婚したそうですね!末永くお幸せに!!

幸せならばいいじゃないですか。おめ でとう!!

それに、フリーライターの加茂佳子さん、僕の最後の試合のときは大応援ありがとう!妹 の恵(けい)ちゃんはお元気ですか?おねーちゃん!ありがとう!頂いたお守りのおかげで勝てました。

大流血でも止められずに最後まで試合ができました。

そのお守りは、もう、 無くしましたが、ありがとう。

コロとの結婚式にもきてくれましたね。コロのウェディングドレスもお借りしました。ありがとう。

助かったよ!ありがとう。

僕は負けがこんで、自分のジムでは相手にされない頃に、よく、当時は、川口市に在った他のボクシングジムに練習に通っていました。

今ではもう、そのジムは無いと思います が、そこでも、沢山可愛がって頂きました。

恩人である大変お世話になった(NTTの) 元日本フェザー級19位日野明博先輩、愛媛県での美苗さんとの結婚式にも呼んでくれまし た。ありがとうございました。

古紙業でトレーナーの川下さんありがとうございました。歩ちゃんに直人、二人のこともさんとも、美人の明子夫人とも、もう長くなりま すね。ありがとうございます。沢山可愛がって頂きました。

これからもきっと皆さん に可愛がられるでしょう。きっと。

顔がブスですから、今は亡き浅倉会長ありがとうござ いました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

今日は、天気も、具合もよく気持ちよく走れました。

大病して「あっちの世界」にも、「宇宙」にも行ってきました。

現実の世界は厳しい! 半端者の僕が生きていくには、何の道が 残されているのでしょうか?コロの言うにはなんと! 地獄も見てきたそうです!! 脳の病気とは怖いのです。

最初にいた病院には音楽療法があったそうです。音楽療法は素晴 らしいものですよ。

親父

昨夜、晩御飯のときに、僕のくそ親父のことを思い出して、少し涙がこぼれそうに なったけと、やっぱり、たった一人の兄貴の言うとおりに親父には会わないほうがいいのだなと思ったよ。

だって、いまさら親父に会ったって、いったいどうするというのだ。

親父ありがとう。 18 年間も食べさせてくれて、育ててくれて、ゆっくり休んでください。

その、グループホームで、今の僕には何にもして上げられることはないけと。

お互い様で すね。

貧乏人の子供は貧乏人に、金持ちの子供は金持ちに(資本主義の国、日本なのです) すみません。

現実の世界は、厳しいのです。ボクシングよりもずっとずっと。

やっぱり、我が家には、子供が出来なくってよかったのかもしれない。

貧乏人ですから。

大病したことにも、なにか意味があるのかもしれない。

もちろん、日本タイトルを取れな かったことにも意味があるのですよね。(奇跡)

きっと、そうですよね。意味があるん ですよね。

タイトルを取らない人生の方が素晴らしいかもしれないですね。

縁がありまし た。コロとの最も大切な緑が。

ロードワーク

ロードワーク

今朝のロードワークは、つらかったです。

合宿での初めての朝に一緒に走った時に、「お前、根性有るな!」と真中さんが言ってくれたのを憶しく覚えています。

あの何気ないひと言に際は助けられました。

ありがとうございました。真中さんが大好きです。

(小林さんにも大変お世話になりました)小林さんお元気ですか?

引退後に、東京の吉祥寺の茶羅(まんだら)というライブハウスで友達の富山君となら んで待っていた時にフィリッピンのフローレンシオ・パストールJrという、僕がかつて対戦した選手が、現場からの仕事帰りの車の中から、声を有らんばかりに叫んでくれて、 奇的な再会を果たしたことも有りました。

本当にこれも奇跡でした。

僕の最後の試合の 相手は奇跡的にも、僕と同じ名の小山豊(ゆたか)さん(草加有沢ジム所属)これで最後 の試合だと決めて望んだ試合でした。

同じ名前の豊さんでした。記録的な大流血の好試合でした。

キセキです。奇跡の10ラウンド判定勝ちでした。

僕が今通っているお隣の街、千歳市のハローワークで、お世話になっている、原口さんという人がなんと!奇跡的にも、札幌のボクシングジムに通っているそうです。

僕の本名

僕の本 名は小笠原豊(ゆたか)なのです。

僕の嫁さんは元プロボクサーの小笠原一茶(いっ き)ではなくて、小笠原豊と結婚したのだそうです。

豊というのも、いい名前ですね。

僕の人生の最後のささやかな楽しみとして、トヨタ、ランクル60(ロクマルテーゼル 4000C ターボ付5人乗り)を2台も大事にとってあります。

お友達の車屋さんに預けてあります。

また、病気が治って車に乗れるようになったなら、きっと、少しのお札を持ってとりに行 きます。

車社会の北海道で車に乗れない辛さと仕事も出来ない辛さはきっと一生忘れられないと思います。

それまで、本間商会さん、よろしくお願いします。

今日もロードワークをしてきましたが、記録は伸び続けています5.5キロでよいのです。毎日走り続けます。

そうは言うけれども、例え、自分の家が貧乏だったとはいえ、人の物を盗んだことも有るし、謝っても、返してもいない。

(ごめんなさい)転校の小学校5年生の時に(確か森山さんという女の子のお顔を覆って泣かせたこともある。(ごめんなさい)今思うと本 当に僕は、ろくなものではない。

その女の子のお腹を蹴ったことのせいで僕には子供が出来なかったのかもしれない。(コロにもごめんなさい!)

僕のタイトルマッチをリンクサイドで見に来てくれていた、転校の同級生の斉木は 今どうしているのだろう? ヤクザにでも、なっているのだろうか? 僕は大人になっ てからも、ろくな事はしていない。

たった一度の人助けのチャンスも逃がしました(骨値バンクに登録して、せっかくド 十一に当たったのに!)残念ながら、ちょうど出張でチャンスをふいにしてしまったのでした。

今思うとなんてもったいない!こんなくそったれた僕に訪れたチャンスだったの に!!せっかく、世の中のお役に立てるはずだったのに。

ボクシングなんて、ただの 殴り合いなのか?本当は臆病な心の自分の顔に! この僕は、大好きなイタリア映画の、 名画、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」のザンパノなのか? それとも、ジェルソミーナなのか?」

それにしても、何故、俺の嫁さんコロは、こんな半端物の僕についていてくれるのだろうか?

せめて、ボイラーの試験が終わったら、ボランティアでもやろうかと思う。

あと一年・・・続く。

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