この記事(自叙伝)は90年代にボクシングで活躍した元日本J・ウェルター(現:スーパーフェザー)級1位の小笠原一揆(おがさわらいっき)選手より依頼を頂き、便せん50枚以上の手紙をもとに編集した記事です。
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タレントのミット打ち
初めにいたジムの先輩が、タレントを相手にミット打ちを受けてやっていたのです。
僕の心は決まったのです。
僕は、昔組んでいた長谷川トレーナーに病気の事は何も言わずに、 また二人で組んでやりたいとたのんだ。
長谷川トレーナーは快く引き受けてくれた。
今となってはそんなことがあったのかどうかは定かではないがコロの献身的な介護により本当に奇跡的に回復したのだ。
最後の検査入院で、隣にいた男みたいに、半分、寝たきりのままでもおかしくはかったのだ。
障害者何級かは取れていたはずだった。
今も要介護3 なのだ。今でも左半身が痺れるのだ。
自分に甘えていたら寝たきりのままだったと思う。
奇確的にも、コロのお父さんの一周忌の帰りに、室蘭の品屋で、3キロの鉄アレイを2個 (二個で100 円で)買ってきた。
リハビリに励んでいるのだ。
毎朝のロードワーク 5.5 キ ロもリハビリのためでも有り、こんなに元気になったのだ。
今では健常者以上に体は元気になったのだ。
コロがあっちの世界から引き戻してくれたのだった。
(よく、ご老人が利用する送り迎え付のデイサービスの介護保険をついて2ヶ月半前まで使っていた)この僕が、 本当に奇跡的に回復したのだ。
今回の大方の後、日本タイトルを取れなかったことが、(実は僕の頭の中にずっとあって、それを、払拭するために、そのタレントさんとの試合を申し込んだのではないかと思っていた。
しかし、あそこまでやりながら、当時タイトル再挑戦の話にソッポを向いた自分 を今は誇りに思う。
だって、今じゃ僕が、一番いい人生を送っているのではないかと思え るからだ。
悩んではいるのだが。愛に満たされた人間関係がある。幸せがある。
人生の締めくくりとして、ボイラーの(特殊な)免許を、もうひとつ採って、この可愛い女をもう少しは幸せにしてあげようと思う。
52歳になった要介護3のガンバレー!
真中哲也さん
タレントさんのミット打ちの相手をしてあげていた僕の先輩とは、真中哲也さんのことです。
後の世界チャンピオンでもあり、最強の、沖縄の勇士、平仲明信さんとの(字が間違っていたら御免なさい)、日本タイトル戦で互角に打ち合ったこともある、僕の大大大好きな先輩です。
初めにいたジムには当時も日本チャンピオンが何人かおり、そのジムの会長さんがやっていた、興行を手伝ったりしました。
ヤクザだったのです。僕も何度か手伝いに行きました。いや、いかされました。
歌手の渥美二郎さん(2回) ピアノの中村紘子さん(字が問題っていたら、御免なさい)(1回)でしたね。
しかし、真中さん、あなたは、ヤクザなんかではありませんでしたね。
それどころか、上京して間もない僕のことを、まるで、実の弟みたいに可愛がってくれましたね。
(お会いしたことはありませんが確か真中さんにはお姉さんが一人だけおられましたね。)
そのご恩は一生、忘れられません。
真中さんの実家にも何度も何度もお泊りに行きました。
おばさんの手料理も何度もご徒になりましたね。美味しかったです。
可愛がって頂きました。(あげたての天ぷらのおいしかったことは今でもはっきりと覚えいます。)
おじさん(真中さんのお父さん)は、根っからのボクシングファンでしたね。
真中さんの 「哲也」というお名前は、かつての名選手(ボクサー) 山上哲也さんからつけたのではありませんでしたか?
当時は、ワンちゃんも2匹も居ましたね。
シーズーのテリーと、 ヨークシャーテリアの太郎でしたね。
どっちも男の子で、真中さんは確か、テリーの方が好 きみたいな感じでした。
よく覚えていますよ。僕は記憶力がいいのです。古い人間なのです。
その右脳は手術で半分取られましたが。
シャンプー事件
シャンプーの事件を覚えていますか?
僕がお風呂からあがると、(お前、シャンプー沢山使っただろう!)と真中さんが僕に示談 で脅すみたいに言ってきたときに、おばさんが、「たくさん使ってやんなさい!!」と、 すぐに助け舟を出して助けてくれたのです。
今となっては、そんなことさえ楽しい思い出ですね。
そう言えば、何時か見た、インターネットで、おばさんが、亡くなられたとありました。
おばさんのご冥福をお祈りします。お世話になりました。
ご迷惑をお掛けしました。すみませんでした。
本当におばさんには可愛がっていただきました。合唱。
とある方の別のお式で、落ち込んでいる機にお坊さんが言って来ました。
「人間は必ず 誰でも死ぬのです。」
そうなのです、人間は必ず誰でも死ぬのです。
早かれ遅かれそれは間違いないのです。
ボクサーの移籍
当時ボクシング界では移籍はタブーとされていますが、僕は何故か練習生のうちに、すんなりと移籍ができました。
それもこれも、全て真中さんたち先輩のお陰です。
(ジムの悪口をさんざん言っていたからです。)
僕も、いいジムに移籍できましたし、その引き際もさっぱりしたものでした。
僕は幸いにして今回のことは、事件にはならずに済みました。
そのタレントさんの事務所に嫌がらせみたいな挑発の電話をしたり、挑戦の手紙を送りつけたり (病の僕なりに真剣に挑戦状をだしましたが、聞き入れられも訴えられもしませんでした。)
これも持って生まれた運ですね。
暴力事件を起こした元ボクサー達の、なんと多いことでしょうか?
引退した沢山のボクサーは、皆さん、お元気でやっているのでしょうか?
暴力事件を起こさずに…。
その後・・・続く。